2017年7月23日日曜日

楽園・徳島県で初泳ぎ&ちょっと釣り

暑い。泳がんばやれん。ということで、待望の徳島県南部。連休の2日間を目いっぱい。


空港で借りたクルマでイッキに南下。

宍喰(ししくい)という町まで来ました。ちょっと先は高知県の県境。

ししくい、というぐらいですから、猪がたくさんいるのでしょうか。

海に流れ込む宍喰川をちこっと遡ると、ゴムチューブ膨張式の堰堤を発見。

さっそく、たくさんの方々の水遊びに加わりました。


川泳ぎ。

この世の楽園です。

クリアな真水に浮かんで水中を眺める幸せは、何事にも換え難く。

オイカワ、ウグイの仲間、ゴリの仲間、アユの群れ。

呆れるほど泳いでいます。これは、本当にいまの日本の現実なのだろうか?


河の土手には、ヤマユリが咲いていました。

子どもの頃は、故郷の荒川の土手にもたくさんあったはずですが、

最近お見かけしないのは、年齢のせい? 観察不足? 眼が悪くなった?

黒アゲハが飛び来りて賑やかな真夏の景色かな。

こころが洗われます!


網を使っていろいろ採っていた少年少女のバケツ中身を拝見。

テナガエビの男女がごしゃごしゃと。

小石や藻を入れてあげると、落ち着くようですね。

こうして捕まえて、眺めたら、逃がす。川遊びの基本だと同行のヒツジ(釣り執事)

あっ、でも、素揚げしてお父さんのビールのアテにもいいのですよ。


堰堤より、すこし遡ったところには、里山の河岸。

組まれた川床の石の上には、いろんな種類のゴリが休んでいました。

むかし、日本の川の夏に、どこにでもあった風景です。

それがいちばん残っているというのが「四国」という人がいます。

とくに、この徳島の県南部は、残っているモノを求めてたくさんの人がくる。

東京のリタイア族が移り住む"聖地"なのだとか。

シュノーケルで顔をつけながら、なんとなく、解るような、、、でも違うような。

やはり、和歌山、三重の南部、高知、そして徳島。

行き着く処の楽園は、この4県に絞られてきたのか?


頭上では、少年たちの"儀式"が開始されていました。

川沿いの古い神社の一角は石垣で組まれた、飛び込み台になってるんですね。

ここから、いっきに飛び込む。

アタマからいくのが、本物の無頼。

逆に、足からでもいけない男子は、女子にもまったく認められない。

なんだか、ゾクゾクしてきましたよ。

ヒツジもこれこそ唯一の特技とばかり行こうとしましたが、キツく制止いたしました。

オッサン、歳考えなはれ。ここでの救急搬送はごめんやで。


飛び込め終えた少年たちは、集う。

みんなイカグリ頭だったので、おそらく、宍喰の地元の高校球児たちでしょう。

挨拶よろしく、礼儀ただしく。

彼らはとっても、感じが良かったのです。野球王国・徳島の野球少年たち。

清流は、金を生むなと、しみじみと想う。ああ。


ヒツジ(釣り執事)は、鐵ヲタでもあります。

津波対策の高架の駅に停車中のディーゼルカーを見ながら感心してました。

「ファンの撮影におうじている姿は第三セクターの鏡かもしれん」

しかし私は反論したいのです。

地方の鉄道は、ごく一部のファンの特殊な趣向に従わなければいけない時代なのか?

地元の方は、自家用車に頼るだけでなく、安全確実な足をもっと利用できないものか。

ところで、待望の徳島県南部行き目的は、川泳ぎや汽車見学だけではないのです。

ちこっとだけでも、釣りは、したいなと。


時間を戻して。

空港近所のお店へまず立ち寄り、エサを購入しました。

一個人の経営するお店が、大きくて、個性的な商品がこれでもかと積み上げられる。

これこそが、釣り師たちを愉しくさせるワンダーランドだとヒツジは大絶賛。

ただね、忙しかったようで、マムシ、アオムシ、青パッチンをオーダーしたのですが、

マムシが、全部石ゴカイになっておりましたけれど、凄まじい量でしたわ。

間違えられても素敵だ! とヒツジは大絶賛しておりました。


という、大量の素敵なエサをひっさげての、徳島県の県南部なのでした。

ところが、行く先々、目指した河口、その河口脇の砂浜のことごとく。

たくさんのサーファー師たちの楽園なのですね。

ここで、オモリを投げたら、顰蹙ですし、ヘタな私にはアブナイかもと。

私は、白いネズミ男よろしく、堤防の上から羨ましく眺めるのみ(海部川河口にて)


サーフィンブームは全国一律とのこと。

徳島県県南部は、関西のサーファーが気軽に来れるエリアとか。

クルマのナンバーは、神戸、大阪、なにわ、和泉の4つがほとんど。

釣り師のクルマも、この4つで絞られています。

東京から伊豆に行くぐらいの時間のようです(宍喰川河口)


徳島は、砂浜も素晴らしい。

いい川があり、いい砂が運ばれ、山から栄養を運んでくる。

目的のキスゴもたくさんいるそうです。

ところが、釣り人の姿がない。ひとりも居ない。

なぜだ?(海部川河口左岸の大きな海岸)


こちらも、いい感じなのに、釣り人なし。

堤防には、ちらほらと数人がいるのみ。

暑いから? それは解りますが、海水浴の人影もなし。

なぜだ?(日和佐川河口の左岸海岸)


↑こういうことでした。

立ち入り禁止は、夕刻から翌朝。

でも、その前後を考えれば、自粛、自重するのが懸命です。

正直に、なんだか素晴らしいなと。

川の恩恵、美しい砂浜、そこへ産卵にやってくる動物のために。

釣り人も、自重・遠慮のスタンスをとっている。

やってくるウミガメの数は激減していると、散歩に来たオジサンから聞きました。

それでも、地域の大きな財産として、見守り、がんばってくださいますよう。


という事情をすべて含み置きまして。

護岸や堤防からの釣りに集中、暑いし、クルマ横付けだし、これはこれでラク。

NASA湾という、細長い入江の砂揚げ場を見つけました。

連休中なので作業はお休み、ラッキーでした。

まわりは、ルアー青年のグループ、チヌのダンゴ釣りのグループ。

神戸ナンバー、なにわナンバー、和泉ナンバー、いつも想うのですけどね。

能登や東北へ行っても、このナンバーズは必ずいらっしゃいます。


あっ、全身タイガース!!!

素敵なシマシマ、ナイスボディだし、引き強烈、そしてこの方がいるということは?

大本命の、あの方もいるはずだと。

NASA湾、いい感じです。


いい感じ、いいアタリ。

この方もたくさんいました。

写真は、ヒレの脇に掛かったために大暴れ。

これは不思議な魚だと思ったけれど、お馴染みのこの方でした。

チャリコも多かったため、そこそこで撤収。


河口の漁港へ来ました(牟岐川河口)

ヒツジによると、牟岐町は、戦後の、磯釣り、投げ釣りのメッカ的な存在であるとか。

川を使った水運で、財を成した。四国山地の豊富な材木の集積地。

そういうお大尽たちが、釣り道楽に興じての文化が栄えていたそうです。

だからこそ、いまも、川を守ろう、水を守ろうとする使命感が強いのだとか。

素晴らしいことです。


あれっ?

この方から掛かりました。ノースベッドグーフ。

アタリが、口の尖ったあの方に似ているのでちこっと期待してしまうところがミソ。

なんだかイヤーナ予感がしたのですが。


ブルっときたぁああああ。

ゾクっとしたぁああああ。

すぐに、起死回生でした。

やっぱりこの方を置いては、ないでしょう。

滋味あふれる牟岐川の所産、ボディは溌剌としていました。

しばらく入れ喰いになり、おみやげの溜まったところで自重。

この、そこそこ、で辞めることが大切なのだと思うのですね。


と、思った矢先。

モソっ、ゴクンゴクン、巻いたらキューン。

出た、出ました、大本命様、ハリスが切れるかと思いましたが、だいじょうV。

うれしか、徳島でも、大本命様に出会えました。これもおみやげに。

おみやげは、いつも、折りたたみ式ソフトクーラーに氷を詰めて運びます。

キスゴ数尾、カワハギ、みやげ充分です。


これも、お土産にしたいぐらい。

これは、絶対にいけません、地元の財産です。

成長ぶりが素晴らしい、これも河川の栄養の産物です。

ああ、この3つほど入った潮汁は、おいしか、でしょうね。


ということで、潮水を求めて、水中散歩を開始。

はい? ここは、どがんなっとるとですかというぐらいの、楽園でした。

チヌ、グレ、タカノハ、イサキ、アイゴ、ボラ。大魚群です。

牟岐川の流れ込みによって、川水と海水の混ざる"ゆらゆら帯"の視界。

その、ゆらゆらのなかに、群泳するチヌのデカイこと。

グレも、黒い子と灰色の子がいて、とにかくデカイ。

チヌのでかい子は、頭が大きくクチバシも発達しているので、噛まれたら大変です。

ちょっとお仲間に加えて、という感じで、じっとして浮かんでいました。


牟岐駅に停車中のディーゼルカー。

鐵ヲタのヒツジが夢中になっておりました。

白と空色は、JR四国のお得意のカラーのようです。

海辺を走る汽車にとても似合っていると思います。

ところで、牟岐とかいて、むぎ。

徳島市から沿岸の道中、麦畑ばかりでしたので、牟岐とは、麦の、旧名かも?


道ばた、しきりに目にした「海賊焼」の看板やノボリ。

海賊とか、水軍とかに目のないヒツジが騒ぐので、入ってみたところ。

貝類の炙り焼きのことでした。

右から、時計回りで、ヒオウギ貝、サザエ、大アサリ、ナガラコ。

ヒオウギ貝は、洋菓子マカロンのヒントになったのではと思うほどの鮮やかさ。

シェル(ホタテ)に見えてちょっと違うマカロン(日和佐の海賊舟というお店にて)


海賊焼きも食べたことだし。

身体の海水を洗い落とすために、もうひと泳ぎの日和佐川。

クリアな水のなかに、まだ小さな鮎たちが縄張り作りの準備をしていました。

橋脚には、網を持った女の子が立ち泳ぎで、なんとかゴリを捉えようと一生懸命。

これは、ほんとに、いまの日本の現実なのだろうか?

いい日本が残っているのが四国、という人がいます。

私はちょっと違うように思うのは、いい日本が"残って"いるのではない。

いい日本を"残そう"としているのが四国の方々ではないかと。

でないと、こんなキレイな、夢のような、川や砂浜は、残せないのではないかと。

2年前の春、四国三郎・吉野川の「第十堰」に来た時のことを思いだしました。

↓その時の光景は、こちらをコピペにてご覧下さいませ。

http://macobusa.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html


川泳ぎを終えて。

まだエサが大量に残っているので日和佐川の河口へ。

クルマ横付けの堤防を見つけてちょっと投げ入れました。

結果として、一度もアタリはなかったのですが、ひと騒ぎが起きてしまう。


ニャーゴがすりよってきたので、おみやげのキスゴを渡したら大騒ぎへ発展。

ボクも、ワタシもと、なんと7匹のニャーゴ(推定兄弟姉妹)に取り囲まれる。

キスゴはまたたく間になくなってしまい、結局、大本命様まで捌くことになる。

切れないナイフで必死に腹を抜き、皮を剥いで7等分に切り分ける。

ニャーゴたち、スーパーエキサイトしておりました。よほど旨かったらしい。

おみやげはなくなりましたが、これはこれで、地域の動物たちのお腹へ。

よかった、ヨカッタ、よかっただと思います。


空港で、徳島ラーメンのハーフ(370円)を食べる。

適量、いい塩梅、甘くフルーティーなスープが気持ちによく合いました。

潮風、潮路に晒されてくると、甘いスープがマッチするような感じ。

来月、私の住む街でも、阿波踊りがあります。

ああ、また来たいな徳島、この世の楽園を残す徳島。

という思いもつかの間、あっという間の羽田の現実なのでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<宣伝>『投げ釣り列島縦断』(メディアボーイ社刊・税込み1700円)
投げ釣りだから出逢う。人と魚、人と人が、水辺・岸辺を共有して暮らすための視点で編集。つねに新しい発見や感動と、魚への愛を忘れないあなたに読んでいただきたい一冊。書店様、釣具店様で購入可能です。またインターネットでもお求めになれます。「投げ釣り列島縦断」で検索ください。
お問い合わせ メディアボーイ社03-3576-4051



2017年7月6日木曜日

江戸長崎日記 2017年 初夏

今年初めての長崎行き。江戸長崎トンボ帰り、梅雨空カンケーなしの出たとこ勝負!


長崎市はヒツジ(釣り執事)の第二の故郷。

空港着は18時30分、借りたクルマでまずは東長崎地区の八郎川河口に行きました。

さすが九州の最西端付近、20時近くになっても、まだまだ明るい。

パパパっと竿を継いで投げ入れました。

気にかかるのは、道路に面した河口護岸の喧噪、そして頭上を通る国道の橋梁。

行き交うクルマの激しいこと!!! 大喧噪のなかの釣り。


それでも、いきなりブルっ。

川のなかは浅瀬なので、アタリが強烈です。

仕事終わり→飛行機→陽の灯りの残るなかでのキスゴ釣り、南西の釣り場ならでは。

すごく、しあわせなことをしてます。


ブルっ、ブルブル。

キスゴは、投げ入れれば掛かる状態でした。

「夜ギスたいね、込み潮に乗ってきて、川の奥深くまで入る。昔は手竿でも掛かった」

したたる汗を拭いながら、遠い高校時代を思いだしてるヒツジ。


水汲みバケツにしばらくキスゴを泳がせる。

戻れるキスゴは戻す、腹を上にするのはソク氷クーラーへ格納(おみやげ)

ヒツジとやってるキスゴスタイルです。

キスゴの産卵期間はとても長いので、そこそこの配慮は必要かと。


といった釣りも、この河口護岸では、せわしなくて仕方なく。

ひっきりなしにクルマが通るため、安全対策。ハザードランプ点灯の釣りなのでした。

ヒツジがいう「昔」は、滅多にクルマのこない、静かな大昔のこと。

国道の橋もなく、のどかな東シナ海の埋立て地、シーンとした橘湾の海原だったそう。

1970年代の後半、、、、、昭和は遠くなりましたねなにもかも。ヒツジさん。

雨が落ちてきたこともあり、夜ギスの部は終了。


長崎市街地へ入り、新大工町で馴染みになった居酒屋『笑幸』へ。

焼きアゴ出汁のスープに漬かる長崎おでんをいただく。

うまし! うまし! うまし!

店主は長く森下(東京都江東区)で飲食店を経営していた人で、長崎へUターン。

長崎なのに、新大橋や築地の話になる不思議なお店なのです(電話095-895-5577)

長崎ばってん、江戸べらぼう、、、あっ意味が違うか?


こちらは、『三八ラーメン』

長崎市民の〆めのお店のひとつらしいです、ソウルフードとヒツジ。

「これを喰わんば、来た気がせんけんね」

ちなみに三八とは、昭和38年創業とのことで、縁起のいい数字なのです。


明けて、梅雨空。

長崎港の出入り口をまたぐ女神大橋を渡りました。

長崎自動車道に直結するこの橋の完成で、長細い港湾の反対側まで一直線になりました。

市街地のあちこちで進む巨大な再開発、着々と出来てきている長崎新幹線、、、、。

埋め立てた入江と丘陵にぎっしり家の建つ独特な情緒のこの街にも、

変化を求める大都会の洗礼が訪れているようでした。


朝イチ最初は、長崎港湾口部の集落、神の島地区。

ひとつ高い所にカソリック教会、愛児園。

集落のほとんどが信者さんという長崎らしい漁村です。

かつては、長崎港の大波止との間に定期船が来ていたそうです。


その神の島の小島(陸続き)に建つ大きなマリア像。

長崎港に出入りする船舶の安全を見守っていました。

ふと東京湾の東京湾観音を思いだしたりしましたが、

はて、あの観音様はなぜ東京湾に背中を向けているのか?

江戸の疑問を長崎で問う?


ポツポツと雨が降ったり止んだり。

神の島の堤防から投げてみました。

まわりは、カゴを投げてのアジ狙いの方々。

大きな船の通る関係で、ズズンと深い海。

前方右手は、長崎造船所の香焼島ドッグ。

戦艦武蔵が建造されたと言われる造船所です。

産業遺産には事欠かない西九州ですが、とりわけ福岡と長崎は別格!


ドン!っとアタってきた美しいベラ。

よかね、うれしか。

しかし、このあとオモリごとの根がかりが2回。つまり力糸を結ぶこと2回。

雨足も強くなってきたので嫌気がさしてきた私は根性なし。

東側の空のほうが明るいのでソク移動することに。


再び、女神大橋を渡り、長崎半島の稜線を突き抜けて東長崎側へ。

運よく雨は落ちておらず、高台から橘湾を見下ろす。

特産の枇杷(茂木ビワ)の収穫は終わっていましたが、取り残しが点々と。

この光景が、長崎市近郊のキスゴ釣りだなあとヒツジがしみじみ。

沿岸の道を北側へ、島原半島寄りに進みました。


市境を超えて諫早市へ。

小さな河口に開けた江の浦の護岸にやってきました。

エギを投げている先客氏たちに気を遣い、少し離れた川側で竿を出す。

右手の遠くには、雲仙の山々がシルエットで浮かぶ。

昨年11月の末(2016年11月)雲仙でのキスゴ釣りの模様はこちらをコピペでどうぞ。↓

http://macobusa.blogspot.jp/2016/11/blog-post_27.html


ブルっときたあ。

長さはありませんが、ゴロっと体格のいいキスゴ。いい感じです。



江の浦の河岸からは、段々畑の丘陵。

平地の少ない長崎ならではの営農ぶりが伺えます。

左手の川の奥は、僅かながら川の扇状地があって米作りが可能。

飯盛町、すなわち、メシを盛ることが出来る、とても豊かな集落だそうです。

銀シャリがとても貴重だった時代のお噺とか。



ヒツジがキスゴを狙うのにつねにポイントの目安にしているのが、山と川。

栄養分のある土と水が、海水との交わりでエサとなる多くのプランクトンを生む。

そんな場所を求めて、キスゴは産卵にやってくる。

孵化したキスゴに良質な動物性プランクトンがないと子育てが成立しないからとか。

ヒツジは、砂浜を走りながら、山と川ばかり見ている変わったオッサンなのです。


キスゴは、ポツポツとはでしたが、心地いいアタリをくれました。

長崎の東長崎エリア、橘湾は身近かにしてじゅうぶんキスゴの楽しめる理想の海岸線。

雨雲はすっかり途切れてくれて淡い光がさしてくる。

ああ、しあわせだ、と思ったのものの、お昼が近い。

帰りの飛行機時間が近づいてきてました。


海からせりあげる傾斜のあちこちに、紫陽花が点々と咲く。

長崎では、おたくさ、と呼ばれて、市の花なのです。

枇杷の実る丘陵、雨の雫を落とす紫陽花の群落、、、あああ、今日も雨に煙る港町。

ヒツジによれば、この光景と情感に浸る時が、キスゴ釣りの真骨頂とか。


空港近くの、大村市内で食べた焼きアゴ出汁うどん。

うまし! うまし! うまし!

シンプルですが、これも長崎の味と言えるでしょうね。

うどんも、五島うどんですとより本格派ですが、こちらはフツーの福岡系のうどん。

でも、うまか、でした。おいしかです。

ということで、おみやげのキスゴを持ち、短い滞在を惜しみながら空港へ。

また来っけんね、長崎。


離陸直後でした。

左手眼下に現れた険しい現実に思わず釘付けになりました。

ギロチンで閉め切られた干拓地と有明海との明暗、光と影、いや1本の線引きの生命。

水門を常時、開ける、開けない、開ける、開けない、、、大きな裁判沙汰の真実の様を、

目の当たりにさせられるとさすがに言葉を失い、ただただ、見つめるだけでした。

どげんすっと? どがんもならん! そして、聞こえた、最初から解っとったこと!

この光景はほんの一瞬で、あっという間に、羽田に帰って来たとです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 <宣伝>『投げ釣り列島縦断』(メディアボーイ社刊・税込み1700円)
投げ釣りだから出逢う。人と魚、人と人が、水辺・岸辺を共有して暮らすための視点で編集。つねに新しい発見や感動と、魚への愛を忘れないあなたに読んでいただきたい一冊。書店様、釣具店様で購入可能です。またインターネットでもお求めになれます。「投げ釣り列島縦断」で検索ください。
お問い合わせ メディアボーイ社03-3576-4051