2017年2月2日木曜日

行くぜ、東北。

いきおいをつけて東北、三陸海岸へ。ブログ開設から5年目、初の船釣り挑戦でした。


高台から見下ろした山田湾、住所は、岩手県下閉伊郡山田町。

三陸の地勢を象徴するリアス式地形の湾内には、ポツポツと牡蠣棚が浮かんでいました。

ついに来た、また来てしまった、同行のヒツジ(釣り執事)と、感慨深く。

以前にここを通った日時、調べたら2015年10月の中旬だったのですけれど、あれからどれぐらいの復興施策が進んだのかは察せません。でも今回は、ひとつ決心してみたこと。

釣りをする、釣りをしてみる。それも現場作業の続く岸辺を離れての、船からの釣り。

船釣りであれば、遊漁という後ろめたさが多少は緩和されるのではないか? 

地面から投げ釣りをすることへの、顰蹙の視線から逃れることにならないか?

まさに、詭弁そのものな、情けないですけれど、自問自答を繰り返してはきました。

でも行ってみよう、それが、次いってみよう、な、現在の三陸の海の現況なのだと。

山田町には、ヒツジの旧知である、釣りのエキスパートを訪ねてのことでした。


再建した自宅前のバンガローに立つこの方。

浦辺利広さん。1956年、ご当地山田町の生まれ。

地元山田町にて、酒飯業、船宿、釣具店、二輪車専門店を営んでいた。

2011年3月11日の午後。

店舗、自宅のすべてを津波に飲み込まれる。

奥さん、次女さん、そしてご自身、かろうじて家族たちと、命からがらのところで今日。

かつての自宅・店舗から南側に移っての高台、山田町の船越地区に移転しての再出発。

ヒツジと私が決心したのは、この浦辺さんが、山田町に「戻った」ということでした。


再建した自宅の濡れ縁にて談笑。

ここに戻るまでに、浦辺さんと奥さんは、横浜駅の西口側で働いていました。

店、自宅、諸々を失ってしまい。でも避難所にいつまでも居るワケにはいかない。

上京していた長女さんを頼りに、まずは、横浜へ出た。

住み込みで働いての、雌伏の時。ガッツ? ここで、このまま終わるわけには?

初めてお会いした先輩に、いきなりずけずけと、あけすけ入り込んでしまった私。

浦辺さんは、ヒツジの旧知なのでつい相好を崩していたのですが、驚いてしまったこと。

此の度、お会いしたのは、ようやく3度目とのこと。

なんやて? なんやそれ? ごめんなさい、浦辺さん、奥さん。

ヒツジの旧知、親友は、みなそんな方ばかりなので、ご無礼の数々、お許しを!


自宅の前には、残した木々のしたに、国道45号線が通る。

道から下は傾斜になっていて、三陸の海が見えていました。

もし、仮にもう一度、例えばの状況として、2011年3月11日の揺れと津波がきた。

この位置であるなら、ぎりぎり、ではあっても、耐えることが出来るのではないか?

という予測の解説を浦辺さんから受けて、ひたすら緊張のままでいる私。

確かに、、、、、この高台であれば、大丈夫なのでしょうか?


浦辺さんとヒツジとの接点は、釣りだけではない。

ヒツジによれば、三陸の投げ釣りにのめり込んだのは、二輪車の存在だったとのこと。

険しい山林と獣道を走破してのポイント探しは二輪車の機動力ならではのこと。

雪の少ない北上山地と三陸海岸のリアス式地形の森林は、単車釣行のまさに天国だった。

繰り返しているうちに浦辺さんのお店を知ったのがちょうど20年前だったとのことです。

現在、浦辺さんは、専門のトライアル車、排気量125ccに絞り込んでいると伺いました。


かつての、お店の唯一の形見という看板。

『ばいくや』という屋号ひとつで、酒屋、釣具、船宿、二輪専門店。

浦辺利広さんと奥さんの、懐の広い人となりを窺い知る木製の看板。

津波のずっと後になって海岸端のガリキから、浦辺さんの知人が見つけて拾ってきてくれたものとか。

「ああ、これはとてもよく覚えています」とヒツジ。

それでは、いよいよ↓ということで。


山田港より出船いたしました!

浦辺さん所有の船は、神栄丸。震災当時に三艘あったなかで唯一、津波を生き残った船。

いろんな運不運はあるとは承知していますが、生き残った船があった。

生き残った船での、出船、ここは、おんなの出船ばい。演歌やね。


まるで、池のような山田湾。

浮かぶ牡蠣のイカダに止まった鳥たちがくつろいだりしています。

地図を見ると、山田湾は、入り口付近が萎んだ、まるでタコツボのようなカタチ。

だから湾内は、池のように静かなのかもしれません。

まわりを囲む山々の頂上には、薄らと白いものが見えますが、真冬であっても太平洋側。

空は青く、天気上々の船出なのでした。


途中から、アクセル(というのか?)を開けていく浦辺さん。

神栄丸はぐんぐんとスピードをアップしていきます。

私とヒツジの予想していたこと、釣りは、山田湾の湾内、せいぜい、湾の出入り口付近?

ところが、浦辺さんの神栄丸は、走る、走る、走る! 


山田湾の入り口付近で、ちょうど行き交った船に手を振る。

なんでも、昨夜、私たちが浦辺さん夫妻より賞味させていただいた毛ガニ(写真なし)

その毛ガニを浦辺さん夫妻に融通してくれた漁船とのこと。目一杯、手を振りました。

おいしかったあ!!!! もっと、もっと、もっと、お願いします!!!!


沖へ向かう揺れのなかで。

岩手県の遊漁での流儀の規定を確認いたしました。

マコガレイ20センチ未満、アイナメ25センチ未満、これらは、そくリリースを!

つまりは、そんな幼魚の掛からないように、相当でかい針を使うこと!

という掟を、遠回しに表記することが素敵だと大絶賛するヒツジでしたが(このあと)


山田湾の出入り口どころか、ここは、三陸沖ではないのか!

写真左手から右手に延びる半島の最突端部が、トドガサキ、および、トドガサキの灯台。

日本列島の、本州の最東端でした。

ヒツジは過去3度にわたり到達したそうですが、海上側から見たのは初めてとか。

とにかく、黒潮と親潮のぶつかりあう、世界三大漁場の突端部の頂点!



船からの釣りは、人生では3度目。

最初が、東京湾のハゼ釣り(宴会を兼ねた屋形船)、2度目がアマダイ(電動リールでボウズ・某メーカーの素敵なH氏にみっちりサポートしていただいたのにかかわらずボウズ)

そして此の度は単独、世界三大漁場へのデビュー。

行くぜ、東北! が、いきなり世界三大漁場になってしまった。

どえりゃあことになってしまいました。


というのも、持ってきた道具の、なんと、あまりにも貧弱なことか。

現場に着いてから浦辺さんに言われて「そうか」と思った次第ですが。

つまりは、いつも堤防や砂浜で使っている、パックロッドと小型のスピニングリール。

これを持ち込んできて、実質釣りをしてみて納得、なんと海の深いこと!!!!!

25号のオモリを2個くっつけて、50号にしてやってみても、なかなか底まで行かない。

むしろ三陸沖へ、パックロッドで挑むのは、わたし名人でないのか? 開き直り?

            ↑ここで一瞬、時間を遡りまして。

山田町船越の浦辺宅に到着したのは真っ暗になった昨晩のこと。

浦辺さんご夫妻より、自宅にてご歓待いただきましたのです。

それはもう、私ら、三陸の幸をこれでもかといただき、鱈腹と酩酊、牛飲馬食。

朝、気がついて(いつもですが)浦辺さんの神栄丸の山田港の埠頭に来た次第。

復興の途上にある、ご当地へ東京からやってきて、こちらがお世話になってどうする?

申し訳なくなった私はヒツジに視線を送ったのですが、石になっていたヒツジ(後述)


短い竿で、電動リールを使う浦辺さん。

スルスルとラインが落ちていき、仕掛けが底へ着いてアタリをとる。

左手の岩場の切り立ったこと、高い壁の断崖には水面から100m以上もあるとか。

さすが本州の最東端、世界三大漁場の岸部の磯は、私の見たことのない風景でした。


浦辺さんの反対側で仕掛けを落としていた私。

どうしても合計50号あるオモリがなかなか底に着かないのですね。

防波堤や砂浜で遊ぶ道具が、すごい水深とか、潮の流れで、まったく通用しない。

このオモリと仕掛け、流されていくばかりで、どこまで、流されれば気が済むのか?

リールのスプールの底が見えてきて、これって、糸が無くなるの?

ヒツジから、あとから聞いた話ですが、だから黒潮と親潮のぶつかり合う場所は愉しい。

愉しい? はあ? ところで、オマエ、船上でどうなっとった立場わかっとる?(後述)


浦辺さんは、次々と魚を釣り上げます。

これは、ガヤ。調べましたところ、エゾメバルの仲間のようですね。

ヒツジ曰く、すごく美味しいそうですが、後だしジャンケンか、おまえ。

立っているか、船べりで顔を出して中身を出しながらかがむか、それしかしてないのに。

「私のコマセが先年先まで永遠届きますように」って、ヒトトヨウさんみたいに唄うし。

今回の、ヒツジの名文句だと思います。


浦辺さんは、次々と魚を引っ張り上げます。

これは、ムシガレイとのこと。水深90mでのカレイなので、岸からでは見かけないカレイ。

「いや、投げ釣りで釣ったことがある」と、ヒツジ。

はあ?

だったら釣れば? だめか? どうしたん? どした? 可哀想になってきました。

ヒツジの、昨晩いただいた三陸の幸を含めた人体コマセは、効いたのか?


次々と獲物を釣り上げていく浦辺さん。

これらは、ほんの一部を並べただけ、入れ喰いや、入れ掛かり。さすが、船長、三陸沖。

カレイに至っては、いろんなカレイが踊るように上がってきます。

真冬はムシガレイやソウハチの子どもが主体だそうですが、

春から初夏にかけてはナメタガレイやマコガレイの大型が戻ってくるそうです。


私に、ようやく掛かってくれたムシガレイ。

何度かアタリを体感したのですが掛からずにいたので、これは嬉しかった。

水深90mから巻き上げてきた魚、長かった、腕が疲れました。

掌でつかんだ感触は、よろこび、ひとしお、でしょうか。

アタリを感じて、巻いて、魚の姿を見る。感動は、陸地も海上も、変わりませんね。



一方その頃のヒツジといえば、、、、、、、。

浦辺船長、すみませんでした。この人、こうなることを、初めての同乗船で知った次第。

やさしい浦辺さんは「ここで上がろうかね」と、私にささやきました。大感謝。

数年前、ヒツジは「船酔い研究所」なる連載を某船釣り雑誌に連載してました。

毎回毎回船に乗り、釣りがまったく成立しないまま寄港、毎回が自分マグロの水揚げ。

創刊誌上最悪の連載だったそうです、読んでた私は、いま実態を把握いたしました。

だみだこりゃー、次いってみよーーーっ。

        

浦辺さんが、次いってくれたのは山田港のラーメン。

浜あがりのラーメンというべき、海から上がった途端に食べたくなる醤油ラーメン。

ちぢれ麺、鶏ガラ、醤油、やさしい味わいであり、山田町一帯の通常スタイルですか。

お店の名前は、藤七屋さん、早朝営業をしているそうで、つまりは朝ラーが可能。

人体の中身すべて三陸の海に戻したヒツジは、またここで、三陸の幸を再充填?

次第に頬や肌に生気を取り戻した様子であり、運転できるようにはなってきました。

浦辺夫妻および次女に見送られての、帰途についた次第です。


美しい夕方でした。

帰りしな通った遠野の町で、レンタカーを停めて撮ったカット。

遠野といえば、遠野物語、大好きです、私は、キュウリ好きの河童と自負してます。

つまりは編者筆者の喝破した「平地人を戦慄せしめよ」の勢いに共感するのですね。

あの当時よりさらに目まぐるしく変化する現代。この日本を深く噛み締める上での、いまは転換期ではないのか、旅に行く気持ちではないかと。まだ違う日本があるはずだと。

生意気に感じてしまいましたが、また来よう、また行きたい。そう思わせるのが岩手県。


岩手県山田町。浦辺夫妻(および次女さん)から貰ったおみやげ、その1。

山田港、金澤水産の塩イクラ。

車中にて、辛抱たまらん、コンビニのおにぎりとあわせて、いただきました。

おいしゅうございました、この塩加減、絶妙のイクラ、辛抱たまらん、でした。


おみやげ、その2。

採ったばかりの、ワカメ(新芽)のクキ。

東京・築地には、これから三陸のワカメが並びます。超高価、ワカメ界の頂上。

家でさっと茹でて、しばらく水に浸して塩抜き。

うまし! うまし! うまし! いやあ、うまいなあ。粘りが違う、うまし!


おみやげ、その3。

田老町のかりんとう、大船渡市のかもめの玉子(ミニ仕様)

いづれも、ヒツジの大好物を、ありがとうございました。

体中の中身、糖分までもを、三陸の海へ戻し、そして三陸からいただいたヒツジです。

ただひとつ思ったこと。

震災津波の傷跡なまなましい地域へ出向いていき、牛飲馬食と釣りをさせていただいた。

こんな、風体と行動が、これからも、許されるのか、どうなのでしょうか。


此の度、思い切って、船からですが、釣りをしました。

すごく釣れるのだと、解りました。さすが三陸海岸、沖釣り師憧れの三陸沖。

魚の濃さが、尋常ではないことはヒツジから聞かされてはいましたが、これほどとは!

あとは、思い切って、行くかどうか、もう、そういう年月に来たと思っていいのでは?

また行きたい、また来よう、そんな釣りの旅が、本物なのかな、と、思います。

岩手県山田港 遊漁船神栄丸・浦辺利広さんの連絡先・携帯090-3124-9755

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