2013年8月24日土曜日

真夏の土佐日記1 なぜか高知

 

午前の便に飛び乗ると航行時間は約1時間30分。
うとうとしているうちに飛行機は高知龍馬空港に降り立ちました。
扉の外はトロっと砂糖を焼いたような南国の匂い。
いつものスパルタンな旅の始まりです。


レンタカーで西へ向かう。
高知はこれで二度目ですが平野と小山、そして川と海。
風景を構築する要素が多様でとても私の好きなたたづまい。
またこの土地にやってこられてルンルン。


高速道路が西へ伸びていました。
仁淀川を渡ります。
大きな川とまわりを囲む山、そして扇状地。
暑さで霞む真夏の高知なのでした。


須崎西ICで食べた鍋焼きラーメン。
ここのICは変わっていて一旦は道の駅へ降車。
ふたたび高速道路に入れるシステムでした。
お味のほうは不思議な食感。鶏ベースのあっさりした味付け。
ご飯が食べ放題になっておりまして、タクワンも食べ放題。
私的には、ラーメンがいらなくて鍋とご飯とタクワンでもいいのではと。


高速道路は山また山を縫うように西へ西へ。
開発が進んでいくんだなあの印象。


空港から約1時間40分。
高速道路の終点は四万十町 中央。
かつては窪川町と呼ばれた交通要所が近隣との合併で四万十町になっていました。


国道56号線に降りて、ひたすら西南へ走る。
道に沿うのは伊与木川。水に飛び込んで遊ぶ子どもたちの姿が見えます。

日本の真夏の里山の原風景!?


突然、国道ぞいに現れたこの看板。
気になりました。曲がって200m入れば、そこにある模様。


お墓は小さなものでした。
傍らの説明文によりますと。
秀吉の朝鮮出兵でこの地より出兵した土豪が美しい女性を連れ帰った。
その女性は機織り技術に優れてこの地に多大な業績をもたらせた。
しかし晩年になり女性は望郷の想いやまず。
哀れんだ村人たちが長く残してきた小さなお墓。
日韓の歩みを知るうえでの証として継承されていくべきであろうという主旨で締めくくられていました。
日本の水辺を歩いていると、ふとこういう歴史に行き当たることがあります。


お墓のあったのは、上川口という集落からほんの山側に入った所。
土手には土佐くろしお鉄道の線路。
その向こうはすぐに太平洋。
僅かな平地と漁港のある傾斜地でした。


 たまたま、このお墓を参ったばかりになかなかUターンが難しくなる。
黒潮の騒ぐ海辺から平野、そして急峻な四国山地。
しょっぱなから高知の魅力に懐ふかく入り込むことになりまして。


山あれば海あり。
ついに到着、四万十川の河口なのでした。
太平洋に付き出した長くて高い防波堤の上にて大きくのびをする。
限りなく黒に近い濃紺の海原が迎えてくれました。


さっそく投げ竿を伸ばしました。
四万十周辺は連日の猛暑が叫ばれていました。
私の生まれ故郷は四万十に抜かれるまで日本一暑いが触れ込みでした。
ナンバー1とナンバー2が重なったせいか、とにかく暑い笑。
でも、海からの潮風がゆるく吹いて故郷よりは過ごしやすいかな。
アタリのほうはサッパリ。水温が高くて昼間は魚たちも眠っている様子。


堤防の付け根でウキ釣りをしていた地元のオジサン。
はて?ナニを釣っているのかな。
お声をかけてみますと。


クーラーボックスにはシロギスでいっぱい。
イワシの姿もあります。
なんでも今の時期はシロギスも暑くて上のほうを泳いでいるとか。
オキアミをつけたウキ釣りでピョンピョン釣っていたのでした。


どうしても投げ釣りでキスを釣りたいのが私。
ここは暑さの揺らいでくる日没を待つことにしました。
コンビニに買ったハイボールに口をつけるうちにうとうとまどろみのなか。
四万十川河口の防波堤でうたた寝をする。
これは、本当にしあわせなことかもしれません。


作戦は成功しました。
とっぷり陽の暮れた防波堤での投げ釣り。
強烈なアタリとともに四万十川河口のシロギスが登場しました。
ぽってりと体格があり躍動感は抜群。
蚊にはずいぶん喰われましたが満足のいく出逢いでした。


21時近くなったのでお腹がへった。
旧中村市街近くでとても気になるお店を発見して即座に入店。
潮風に吹かれ続けていると、炙りものや焼き物が食べたくなるのです。


ガスロースターの上で焼くミノや豚バラ、塩ホルモン。
ハイボールががんがん進んでしまいます。
やめられません、止まりません。なんとかエビセン状態に。
この後、お店の人に代行を呼んでもらい近くのコンビニの駐車場へ搬送される。
死んだように眠ってしまったのでした。
高知1日目終了。



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